流行天国工房 について

 何もない田舎町にコンサートホールが出来た。
中学生だった僕はレコードや音楽雑誌でしか観たことのなかったアーティストの生の舞台を興奮して観ていた…。

 親にも、先生にも、ましてや友達にも相談できなくって、こっそり孤独の中泣いた時も、音楽は僕のその心の中の全てを知ってくれるかの様に耳から、皮膚から僕の中に入り込んで、そして孤独の僕をそっと包んでくれた…。
いつかあの舞台側で、音楽の現場で仕事をしたい!
その夢は叶って今僕等はこうしてここにいます。
どこかの街で、あの頃の僕のように客席から憧れの思いを芽生えさせられるような…そんな仕事を目指しています。

音楽制作/コンサート制作/イベント制作/舞台演出/教室事業「Samurai Rhythm Academy」グッツ企画販売「サムライアパートメン堂」/アーティストプロモーション/アーティストキャスティング/レーベル運営「VSR MICHINOKU」/仮想クリエーターズアパート「侍荘」/プロダクション業務「SAMURAI APARTMENT」/

人に添う音楽を

記憶にも記録にも残る空間を。

まずは10年、そして干支が1周するまでは…
千葉 秀/SHU CHIBA

一般社団法人 流行天国工房 代表理事
舞台演出/音楽プロデューサー/ 保護司

宮城県美里町在住の音楽マルチプロデューサー。
20代で山本リンダ復活のプロジェクト制作の中核を担当し、日本におけるクラブカルチャーを牽引して来た後藤貴之らと株式会社NWP(ニューワールドプロダクション)を設立、同社会社役員を務めた。その後(株)メディア出版で常務取締役に就任、Jリーグ創設期のヴェルディ川崎の応援歌CD化、ラーメン本を監修(NTT出版)しラーメンブームの火付けに一役買った。
ふるさと宮城に戻って来てからはDate fmで番組制作ディレクターを行いミレニアムを迎え2000年にはオノ・ヨーコを招き、特別番組を制作した。また、さとう宗幸の舞台監督を務める傍ら、和太鼓の魅力に惹かれ、2003年佐藤三昭と和太鼓トータルプロデュース会社(有) 3D-FACTORYを設立。3D所属チームのステージプラン、サウンドプロデュースを行って来た。2008年よりSCA仙台コミュニケーションアート専門学校でコンサートプランニングの講師を務め、2010年には映画「つるしびな」(大和優雅監督)の音楽監督を務めた。

2014年50歳を目前に自身の原点回帰を目指し20代から数々の音楽制作とアートファンデーションを行って来た「流行天国工房」を通し、これまで行って来た全ての活動の集大成と震災復興と音楽を繋ぐ活動を行う。
10年ぶりの開催となったGLAY EXPOでは閃雷と110人の和太鼓奏者によるMICHINOKU KIZUNA TAIKOによる東北とGLAYの復興祈願コラボステージの運営・制作を手掛けた。2016年3月震災から5年目のこの月にVSR MICHINOKUという東北にこだわったレーベルをスタート。

2017年は若手のクリエーターが自由に作品発表の出来る仮想空間「侍荘」のプロデュースを開始。その名前を持つ音楽ユニット『SAMURAI APARTMENT』も活動開始。
2020年「流行天国工房」を一般社団法人にし、これまでの事業・青い鯉のぼりプロジェクトの事務局業務を行う。
また、震災から「被災地に和太鼓でチカラを」ということで開設された「タイコラボ仙台」がコロナ禍で閉鎖することを受け、後継事業主として「Samurai Rhythm Academy」を立ち上げこれまでの和太鼓に加え「リズム」に着目した教室事業を開講。